教育

2006年11月 3日 (金曜日)

いじめが自殺につながる日本の「空気」

子どもの自殺が続いています。

いじめられたことによる自殺です。いじめられて子どもが自らの命を絶つ行為が続くことは、普通では考えられない『異常』なことのです。

では子どもの自殺をなくすにはどうしたらよいか?

『やっぱり変だよ日本の営業』の著書でおなじみのソフトブレーン マネージメント・アドバイザーの宋 文洲(そう・ぶんしゅう)氏の文章を紹介します。私は彼の意見に強く同意します。日本の「空気」が変わらない限り、子どもの自殺はこれからも続きます。

皆さんはご存知ですか?中国や米国の子どもがいじめに遭い、自ら幼い命を絶ったという例がないことを・・・。 いじめで子どもが自殺するというのは日本だけの出来事だということを・・・。

私たちリーフラスは、そんな日本の「空気」を変えていきたいと、本気で思って企業活動をしているのです。

いじめが自殺につながる日本の「空気」

かつて国が主導するいじめを受けた人間の持論~宋 文洲

 僕も親です。いじめで子供たちが自殺するニュースを聞いて胸が詰まります。虹色で彩られているはずの世界が真っ暗になり、誰にも頼れないと悟る少女。幼い首に紐をかける彼女の顔は、まだ無邪気さが残っていたはずです。こんな理不尽なことは許されていいはずがないと思います。

 無性に怒りを覚えました。僕の怒りは、言い逃れをする先生でも、いじめに参加したとされる子供たちに対してでもありません。自殺してしまった子供に逃げ道を教えない、すべての大人たちに対してです。この環境を変えない限り、悲劇はまだ続くと思うのです。

なぜ頑張らなくてはいけないのですか

 岐阜の少女が残した遺書に、すべての大人に対して重要なメッセージが残っていました。それは遺書の最後にあった「もう、何もかも、がんばる事に疲れました」の一言です。彼女の遺書の言葉で、恐らく多くの大人たちは塗り潰されていた4人の同級生の名前に意識や興味が集まっているはずです。しかし、その4人の子供や家族が置かれている現状を考えると、彼らも被害者だと思います。

 読者の皆さんのご意見をうかがいたい。皆さんはこの世の中からいじめを無くすことができると思いますか。無くす努力は大事ですが、だからといって無くなるものではありません。病院がいくら増えても病気が無くならないように、人類が古くから行ってきたいじめを根絶することは気の遠くなるようなことです。

 子供のいじめは中国の学校にも、米国の学校にもあります。しかし、中国や米国の子供がいじめに遭い、自ら幼い命を絶ったという例を僕は聞いたことはありません。でも、日本では起きている。それは、なぜなのでしょうか。亡くなった岐阜の少女の遺書が答えています。日本は過剰に「頑張ること」を強いるからです。

 よく言われる日本の「ムラ社会の原理」は、子供の世界から既に始まっているのです。皆が一緒にあるために、自分に無理させてでも努力を強いるこの社会に、日本の子供たちは好きで入ったのではありません。大人が招き入れているのです。学校に行き、お友達と仲良くすることは至上命題であり、嫌な相手がいても、部活が自分に合わなくても、大人から「ともかく、頑張ってみなさい」と言葉をかけられる。

我慢させることの罪

 「頑張る」は聞こえがいいのですが、僕にしてみれば要は「我慢する」ことです。教育は本来その子の個性を見いだし、それに合った環境を提供し、本来の才覚を伸ばすことにあります。だから孟子のお母さんは、3回も住居を引っ越して子供に合う環境を見つけ出したのです。

 岐阜の少女が自殺した本当の理由を、他人の僕が知る由はありません。親御さんは自分の子供を守るために必死に努力したと思います。それが届かなかったのはなぜか。個別の理由は、一言では言い尽くせないものがあるはずです。

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2006年10月 9日 (月曜日)

「理解する力」

知人から聞いた話です。

「3歳の時に大声で夫婦喧嘩をしたことを、今10歳になる子どもが覚えていたのには驚いた」。「凄くショックを受けたことを、この間話してくれた」・・・

『三つ子の魂百まで』ということわざがありますが、子どもは本当にすごい能力を有していますね。

「まだ、小さいから大丈夫」という感覚は捨てたほうがいいと、私自身子どもを持つ父親として強く思いました。

子どもは身の回りで起こる全てのことを「理解する力」を、生まれながらに持っているのですね。

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2005年10月11日 (火曜日)

授業参観にて

 以前、親戚の子(小学生)の授業参観に行ったとき、今の日本の公教育の実情を垣間見て、暗澹ある気持ちになったのを覚えている。

 木造校舎(アスベスト付き?)、硬い椅子・机、エアコンなし、黒板にチョーク、ゴミだらけの埃立つ教室、授業中に奇声をあげる子どもたち、社会性のなさそうな顔をした教師たち…。

 恐ろしいことに30年前と何も変わっていない『学校』がそこにあった。いや、むしろ子どもと教師の質はあきらかに悪くなっている。我々の時代は、良くも悪くも今よりはずっと『熱』があった気がする。

 日本では、公教育に対する設備投資はほとんど行われてきていない。利権につながりにくい教育よりも、うまみの多い道路や箱物を造ることに政治家が精を出してきたためだ。根強い私学志向や塾に通わせるのは、親が我が子を守る防衛本能からである。公立学校では宿題もほとんどないらしい。宿題を出すと先生が採点しなくちゃいけないし面倒なのでと、まことしやかに噂されている。先生も公務員。なるべく働きたくないのであろう…。

 しかし、ここまでひどいとは…。公立学校に入った時点で、その子どもはかなりのハンデキャップを負うといっても過言ではない。もちろん、校長先生の頑張りで、素晴らしい公立学校もあると聞くが、我々に公立学校をえらぶ権利はない。

 自国の教育をおろそかにする国は、必ず滅亡する。

 当社は将来的には公立学校の運営も担っていきたいと考えている。

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